最後の四小節

A.B.C-Zと嵐と最年長が好きなんだ

1/27~2/3 呪いの備忘録

あの日から一週間で感じたこと思ったこと湧いてきた感情は忘れたくないなぁと思ったので忘れないために書く備忘録。
私の人生で最も情緒不安定な一週間の記録。
私は絶対に忘れてなんかやらないからな。



2019年1月27日(日)
それを知ったのは稽古が終わった直後。Twitterを開くとTLで色んな人が泣いてて、何だ何があったと思ってトレンド欄を確かめると一番上に嵐の写真。その下に「活動休止」「大野くん」の文字。
あ、きたな。という感じ。
最初に湧いた感情は、諦観。割とあっさりその事実を受け入れていた。
何となく嵐の終わりは早いだろうと前々から思っていたし、私は嵐の最高の終わりが観たいという願望を持ってたし、大野智はいつか事務所を辞めるだろうとも思っていた。
というか、ちょうどこの日の2、3日前に私は「大野智が結婚して嵐を辞めるというニュースをTwitterで見て号泣する夢」を見たので、デジャヴが起こった感覚だった。そういう予兆を感じていたのかもしれない。Twitterのジャニオタアカウントの下書き見たら2030年に嵐は解散っていう妄想のツイートが残ってた。残念でした昔の自分、あと10年早かったよ。解散ではないらしいけど。

だから何となくふわっと事実は受け止められた。でも少し経って、やっと色んな感情が溢れてきた。頭で分かっていてもやはり心がついていかなかった。
悔しい。
虚しい。
主にこの二つだったと思う。
ちゃんとニュース記事を読んで、一度ふざけんなと思ったら止まらなくなった。
ふざけんなよ。何で辞めんだよ。
嵐を捨てるに値する「自由」って何なんだよ。
街を歩いてても電車に乗っても色んなところから嵐に関する会話が聞こえてきて、純粋にうるせえと思った。第三者に何となく立ち入られたくなかった。
自転車に乗って家に帰る途中もずっと大野智のことを考えていたら、遂に涙が出てきた。泣きながら夜中の町を爆走し家に帰ると同じく嵐ファンである母に慰められたけどそれすらも鬱陶しく感じてクッションをひたすら殴りながら泣いた。
大野智が好きだった。
その大野智の好きなものは自由と孤独で、それを奪ったのが「アイドル」という肩書きで。嵐のメンバーでいる限り大野智は孤独にならないし、世間が大野智を見つめ続ける限り大野智は自由になれない。

私は、大野智という人間が好きだったので、
次に湧いた感情は「ごめん」だった。

何にも囚われない大野智が好きだと言いながら大野智を縛り付けていたのは私だった。ごめん、ごめんね、ごめんなさい。
大野智の自由と孤独は、当たり前だけど私たちのものじゃなくて彼のものだったんだ。それが悔しくて悲しくて堪らなかった。くそ、ちくしょう。と叫びながらひたすらクッションを殴りつけた。
気が済んで風呂に入って、見る気になれなかった会見の様子をようやく動画で確認した。
大野さんが答えづらいような質問を翔くんやニノが代わりに答えてくれたこと。
松潤が違うことは違うとハッキリ否定してくれたこと。
こういう場は慣れないだろうに、相葉ちゃんが一生懸命に会場の空気を和ませようとしてくれたこと。
大野さんの声と表情。
色んな情報と感情が雪崩れ込んできてまた泣いた。

「無責任なのではないか」と半笑いで質問した記者がいた。
クソが!!!!大野智の決断を「無責任だ」と言う権利は嵐のメンバー全員に嵐のファン全員に平等にその権利があるが、少なくともてめえに「無責任」かどうかを判断される筋合いはねえよ!!!!
そんなことを考えながらその日は寝た。


2019年1月28日(月)
嵐が活動休止するまでの日々がスタート。
起きぬけにTwitterで嵐の解散に関するとあるイラストを見て号泣。その後妙に冷静になった私は見る気も聴く気も起きなかったはずの嵐の映像を録画リストから漁り始めた。
確認したかったのは、大野智が想いを打ち明けたという2017年6月16日から活動休止を決断した2018年6月あたりの映像。シングルでいうと「つなぐ」あたりから「夏疾風」あたりだ。
探したところ、なんと大野智がメンバーに想いを打ち明けたちょうど一週間後の6月23日にNHKの生放送に出演した際の映像が残っていた。
V6井ノ原くんからの嵐での活動に関するインタビューに答える大野智。そのやりとりの中で、こんな話をしていた。
(嵐が爆発的なブレイクを果たしたことについて)
井ノ原:番組もいっぱい持ってるし、CDも出すし、ライブもいっぱいやるし……それで「地に足ついてない」ってなかなかみんな思わないんですけど……
大野:なんか……実感がないというか
井ノ原:「これもまだ夢なんじゃないか」って?
大野:「夢なんじゃないか」って。……「何がいいんだろう」とか
井ノ原:えっ!(笑) 自分に対して?
大野:そう(笑)
井ノ原:「何で見にきてくれるんだろう」って?
大野:失礼な話ですけど、そういう気持ちはありますね。

このインタビューを見ていた当時も思ったが、大野智が「夢」という言葉を使っていたのが気になった。
その時は「幸せな夢から覚めるのが怖い」と思ってこの言葉を使ったのかななどと思っていたが、実際の大野智は、「早く夢から覚めてしまいたかった」のだ。

この日の夜、NEWS ZERO櫻井翔くんの活動休止についての話があった。会見の前日に翔くんは大野さんに電話して「何かあったら自分がフォローするから」と伝えたという話に感涙し、会見直前にはコンサート直前と同じように全員で握手しあったという話にはなんだかもう嵐が好きすぎて頭がおかしくなりそうになった。

インタビューの最後はこの質問だった。
「再結成の可能性はあるんでしょうか」

翔くんは即答した。
「あります」

…………えっ、即答しちゃうの?
えっ待って待ってどういうこと?
即答できるくらいの活動休止なの??
ああいう場で大々的に断言できるってことは大野智に少しでも戻ってくる意志があるってことなの?
どうなの?大野智がそう言ったの??
27日の記者会見で「再び嵐を巻き起こす可能性は……」みたいな質問に答えたのは大野智ではなく相葉ちゃんだった。大野智から直接「戻ってきたい」という旨の言葉は語られていない。

私は正直、大野智はもう芸能界に戻ってこないと思っている。
これといった根拠はないけど、会見でのあの質問に言い淀んでいた大野智を見て、何となくそう感じた。戻ってくるのは奇跡だ。戻ってくるとしても、そうとう長い時間をかけることになるんじゃないかと。
少なくともまだ決めかねているのではないかと。
そんな状況にある大野智に対して「復活待ってるよ」という一言は、つまり大野智の生き方を私たちが決めつけてしまいかねない一言なのではないのか?
翔くんが断言した理由がわからない。
大野智に復帰の意志があるのかもしれないし、ファンを絶望させない為に言ってくれただけかもしれない。

もし仮に後者だったとしたら、それは「自由に生きること」を望ん大野智を殺す一言だ。

私は大野智が好きだ。
私は大野智が好きだから、「復活の可能性」という自分たちの身勝手な希望を押し付けてわざわざ彼を縛りたくない。好きな相手を支配したい・縛り付けたいと思うのは至って普通の感情かもしれないけど、私が好きになったのは「自由が好きな大野智」だ。

……重いな。

 


2019年1月29日(火)
一日虚無感に包まれながら過ごした。
事件が起こったのは寝る直前。
嵐ファン相葉担の母と大喧嘩勃発。
きっかけは朝日新聞に載っていた活動休止に関する記事。
母親は私に「いい記事!感動したからあんたも読め!感動するから!(要約)」と言ってきた。正直あんまり嵐のことばかり考えていたくなかったのでサラッと目を通したのだけらどその記事の中にジャニーズの他のグループの名前が出されていた。
私はそれを見、「いい記事だと思うけどこの件に関して他のグループを引き合いに出すのは違うと思う」と言った。
その結果、自分が良いと思ったものに対して否定的な言葉を言われて傷ついた母が激昂。私も私でガンコなので喧嘩になってしまった。
終わった後「なんてくだらないことで喧嘩してるんだ」と反省。
でも嵐の解散に他のグループの名前出されるの嫌だし名前出されたグループのファンの人も嫌だと思うし私間違ってない!
GANKO。

2019年1月30日(水)
はい~~出た~~不仲説。
夕刊フジ
「大野は二宮と波長が合わない」らしい。しかも「大野は二宮に対して反感を抱いている」そうだ。
その記事を目にしたとき大宮推しの私の口から純度の高い「死ね」という言葉が出た。死ね…………

なんで私は“大宮コンビ”を好きなんだろう。
私はシンメ厨だけどこの2人は別にシンメだった訳じゃない。好きになったきっかけは覚えてない。
でも同じ温度感の2人が端の方でわちゃわちゃしてるのが微笑ましくて好きだった。
同じ人種ではないのに、どこか似てる2人。
大野さんはニノに対して圧倒的なシンパシーを感じていたからあんなにニノが引っ付いても心を許してたんだと思うし、ニノは大野さんに対して圧倒的な尊敬の眼差しで見ていたから大野さんに執着していたんだと思う。思うんだよ。そうやって考えたらあの2人がわちゃわちゃしてるのが愛おしくてたまらなくなるだろ?そうだろ?

で、誰と誰の波長が合わないって??

まあなんとでも書けよ。
私は自分の目に映ったものとそのとき自分が感じたものしか信じないよ。


2019年1月31日(木)
とあるブログを読んだ。
大野智が嫌いだ。」というタイトルのブログだった。
タイトルから読むのを躊躇っていたが、気になっていたのでこの日、読んでみることにした。
けっこう大野智に関する酷いことが書かれているので読むのはお勧めできない、ということでブログのURLは載せていない。検索すればすぐ見つかると思う。

ブログの冒頭は大野智に対する悪口がこれでもかと連ねられている。そのどれもが割と事実なのでぐうの音も出ない。
しかし私はブログを最後まで読むと電車の中にも関わらず泣いてしまった。

「心の底から思う、大野智と出会いたくなかったと。」
大野智が好きだった。この世で一番、好きだった。だからこそ、今貴方のことがこの世で一番嫌いだ。お願いだから、帰ってこないでくれ。」

私は最初から大野智のことを「アイドル」として見ていなかったし、ジャニーズという世界の中にいて「アイドル」の枠からはみ出た大野智という存在が好きだったので、このブログを書いた人に賛同はできない。
でも、この人の痛みが手に取るように伝わってきた。

あの会見の後、沢山の人間が大野智への想いの丈を綴ったがそれらを見ても私は「うるせえんだよ」「綺麗事言うな」としか思えなかった。
そんな中で、この人がこのブログに綴ったのは激しい憎しみ、大野智への呪詛だ。絶対に幸せになるなという呪詛。
憎いという感情はその人のことをよほど想っていないと生まれない感情で、絶対に消えることなく自分を縛り続ける感情だ。
この人は、きっと誰よりも何よりも大野智を想っていた。
このブログに心を揺さぶられ、あの日以降他人の言葉で初めて泣いた。
この日にはVS嵐の放送もあったのだが、見る元気はなかった。


2019年2月1日(金)
この日、嵐がミュージックステーションに出演した。
放送中は家にいなかったので見ることはできなかった。録画もしていたが当分見れないと思っていた。
が、家に帰ると母が「見てほしい!」と強く私に訴えた。私は断ったのだが私の食事中、母が勝手にMステの録画を再生した。
嵐がMステの階段を降りて登場するのを一瞬見ただけで私は泣いてしまった。母は夜も遅いからと早送りして嵐の出番まで飛ばした。
私はもう怖くて見るのをやめようと思い席を立とうとしたが、テレビから嵐の歌声が聞こえてくると思わず足が止まり、テレビに釘付けになった。

1曲目、大野智は全くカメラを見なかった。
ふだんからあまりカメラ目線で歌うことはないが、今回は他の4人がカメラを真っ直ぐ見つめながら歌っていたので相対的にそれが顕著に感じられた。
会見で「申し訳ない」と目を伏せていた彼の姿を思い出す。

何なんだよ。カメラも見れなくなるくらいの覚悟だったのか?
お前の覚悟はそんなもんだったのかよ。
あと2年、ファンのために精一杯活動するって、言ってたじゃないか。
だったら覚悟しろよ。ちゃんとカメラ見ろよ。ファンの目を、見ろよ。

曲の最後に5人が横になって歌う場面でも、大野智はカメラを見ず4人から少し離れた所に立って歌っていた。
4人と大野智ではこんなにも背負っているものが違うのか?とさえ思うほどだった。
その姿があまりにも痛々しくて、見たくなかった。

そして2曲目に移る。

嵐がステージを移動するとそこには大勢のファンがいて、大きな歓声と共に2曲目が始まった。
すると、おもむろにニノが大野さんの方へ近づいていく。そして大野さんへ向きながら歌い始めた。それに気付いた大野智は、それまでずっと浮かべていた険しい表情を崩し、初めて自然な笑顔を見せてくれた。
その様子を見たら堰を切ったように涙が溢れてきた。
不仲だという記事を書かれた大宮。
でもそこに映っていたのは、活動休止前から1人になろうとしてい大野智をきちんと仲間の輪の中へ連れ戻そうとしてくれた二宮和也だった。
曲の途中でも大野さんの手を掴んだりして大野さんにちょっかいをかけながら歌うニノ。
きっとそんな記事が出ていることをニノは知っていたんだと思う。そして行動でもってそれを否定してくれたんじゃないか。都合のいい妄想だが、そう感じられた。
きっと、ニノじゃなくても。
大野さんの隣に立ったのが翔くんだったとしても相葉ちゃんだったとしても松潤だったとしても、みんな大野さんを引き戻してくれただろう。
そういうグループなんだ、嵐は。
ラスサビ前の間奏で翔くんがカメラに向かって、
「さあ、同じ夢を見よう」
と叫んだ。

そうだよ、大野智
あなたは「夢なんじゃないか」って言ってたけど、それはあなただけが見てる夢じゃないんだよ。
同じ夢を見てる人が4人、あなたのすぐ近くにいたじゃない。
まだ1人になろうとすんなよ。

松潤が大野さんの肩を抱き寄せた。そのまま大野さんを真ん中に5人でぎゅうぎゅう押し合いながら最後のサビを歌う嵐。
大野さんの左隣にいた相葉ちゃんは、大野さんの顔を覗き込むように歌い、最後には涙を堪えていた。

2曲目の間、私はずっと泣いていた。
感情がグチャグチャになって嗚咽を止められなかった。
過呼吸になるんじゃないかってくらい泣いた。母が隣でごちゃごちゃと何かを言っていたが、何も聞こえないくらい号泣していた。

言葉にならない想いで胸の中が溢れかえって、録画の再生が終わってもしばらくの間涙を止められなかった。


2019年2月2日(土)
舞台の本番を観に来てくれた嵐ファンの友達は、本番の後、私を見るなり号泣し始めた。その子にはとても失礼だが、それがちょっと面白くて笑ってしまった。その子は差し入れにA.B.C-Zのブロマイドをくれた。ありがとうね。

何をしていてもふとした瞬間に大野智のことを考えてしまう。割り切ろう前を向こうと思って「あ、前を向けるかも」と思った瞬間があってもその次の瞬間には大野智のことを考えてしまう。
錦糸町駅の4番線ホームからスカイツリーを見上げて今日も考える
虚無。
「アイドル」って何なんだろう。
恋愛をしたら周りから怒られて、私生活も誰かの目線につきまとわれて。何をしても評価をされて。住んでる場所も特定されて、つけ回されて。何でこんなに自由が無いんだろう。

アイドルをバッシングする時に「夢を与える職業なんだから」という言い方をする人が大勢いる。
「夢を与える」って、何?
アイドルって“歌って踊って見てる人を楽しませる職業”じゃないの?“夢を与える職業”じゃないでしょ?
私たちが勝手に夢を見てるだけでしょ?
いつからか、世間のアイドルへの認識は「夢を与えてくれる存在」から「夢を与えるべき存在」へと歪んでしまった。
「恋愛するならせめて隠す努力をしろ」って?
彼らはもう充分隠す努力をしている。
それが明るみに出てしまうのは、それをわざわざ暴こうとする悪意ある人間がそこかしこに湧いているからだ。
どこにも自由が無い。
ファンという存在が人間としてのアイドルを邪魔している。殺している。
そりゃ大野智だって辞めたいと思うはずだ。
人間から人権を奪って楽しむ「アイドル」という世界は、なんて狂っているんだろう。

あー、なんか、最低でくだらねえな。
「アイドル」という世界も、その世界に入れ込んでしまった自分も
最低だ。
くだらない。
なんか、冷めた。

私も辞めようかな。ジャニオタ。

だって最低だよ。こんなこと。
最低としか思えなくなってきたよ。
ファンなのに、どいつもこいつも傲慢すぎる。
いつからファンはそんなに偉くなったんだ。

もう一つ応援してるA.B.C-Zだって、あんなに素晴らしいパフォーマンスをしているのに「アイドル」という世界にいるせいで全然正当な評価をされていない。
ファンクラブの会員数で価値を測られ、テレビ局とのコネで出演の機会を規制される。

オリコンチャートと熱愛報道で人間を判断するな。
アイドル側もそうだ。そんな簡単に人間を諦めるなよ……。

最低最悪。
無理。
付いていけない。

大野さん、あなたの判断は正しいよ。
こんな世界、早く辞めちまえ。

この時、私の中で何かが死んだ。


2019年2月3日(日)
一週間が経った。ここで私はこのブログを書くことを決意した。

私が大野智を好きになったきっかけは今でもよく覚えている。
まだVS嵐がお昼の時間にやっていた頃。
フォーリングパイプというゲストと嵐のメンバーが一対一で対戦するゲームがあり、その日嵐から選出されたプレイヤーは大野智だった。
その日大野智は、なんと、ゲストが喋っている間に居眠りをし始めた。
番組の収録中に。ひな壇でもなくゲームの装置の上で堂々と。
そして他のメンバーから声をかけられてやっと目を覚ますという一連の出来事を見て、「そんなことしていいのか?!」と大層驚いた
私がそれまで思い描いていたアイドルとは、どこまでもカッコよくて、完璧な存在。
……そこからかけ離れたその姿。
何にも囚われず、周囲の目が集まる中堂々と舟を漕ぐその姿。
私はその時、「この人はただ者じゃない」と強烈に惹かれたのだ。

大野智は変な人だった。
ドラマの撮影中にも関わらず日焼けして怒られたり、派手に女の子と遊んでみたり、番組開始30分間一言も声を発さなかったり、彼女の名前を自分の作品集のクレジットに忍ばせてみたり……。
こういうマイペース(?)な行動が目立つので一部のファンからは激しく嫌われていたが、今思えばこれらもアイドルという枠に囚われず自由に生きることへの憧れが表れているように感じられる。
しかも、彼はこんなに自由奔放で全くアイドルらしくないのに、ステージに立つと豹変するのだ。
彼のダンスはとにかく美しい。その瞬間に取れる一番美しい身体の状態を繋ぎ合わせるように踊るので、彼のダンスは美しくない瞬間が一つもない。
彼の歌もとにかく美しい。初めてコンサートに行って初めて彼の生歌を聴いた日は、その日眠る直前まで彼のビブラートが耳鳴りのように耳の奥でずっと響いていた。

なんてアイドルに向いていなくて、なんてアイドルとしての才能に溢れた人なんだろうか。
今そのことが悲しくてたまらない。

そもそも、「ずっと辞めたかった」と公言していた大野智
そんな彼をここまで駆り立てたものとは一体何だったのだろうか。
辞めたかったなら、もっと早く辞めることもできたはずだ。
そんな彼を「アイドル」としてここまで立たせてきたものは何だったのか。

話は変わるが、amazarashiというアーティストの「逃避行」という曲があって、私は昔その曲を聴いた時に大野智のテーマソングのように感じた。
『押し潰された僕の逃避行  上手くいかなけりゃ死んでやるぜ』
『僕らを走らせるならきっと何だっていい  恩義でも逃避でも  世間体でも逆恨みでも』
『僕の場合は逃げ出したいから  なのに今も戦っているよ』
『死に場所を探す逃避行が  その実  生きる場所に変わった』

半ば騙される形でデビューさせられて、逃げようにも逃げられない状況ができて、そのうち逃げることからも逃げた大野智
デビュー前、京都に自ら赴いたことに対して大野智は「誰よりもダンスを上手くなって自分で満足したかったから」だと言っていたのだが、私が思うに、大野智はきっと満足できる死に場所を探していたのだ。
早く上手くなって、自分で満足したら、早く独りになりたかった。早く自由になりたかった。他人の目とか評価から逃げたかった。死んでもいいから、とっとと終わりにしたかった。
でも死ねなかった。大野智を引き止めたのは、メンバーか、あるいはファンか。
とにかく大野智が満足して死ねる状態になかったのだ。

大野智はずっと死に場所を探し続けた。
そしていつしか、その行為自体が大野智を形作っていた。本来自分の死に場所にするはずだった「嵐」は、自分を肯定し、存在させてくれる自分の居場所に変わっていってしまった。
「嬉しいを通り越した」
「こんなに恵まれてていいのかなって気持ちが凄くある」
2014年、大野智が泣きながらそう言った。

その言葉を聞けただけで十分だった。

不自由しかないこの世界で大野智がそう感じられた瞬間があった、それでもう十分に彼は報われたことだろう。
そして2016年に大野智は、やっと満足して死ねると判断したのだ。
私はこの間憧れの先輩とサシでラクレットチーズを食べに言った時、「今ここで死んでもいいわ……」と思った。それを口に出したところその先輩はとても澄んだ声で「死なないで~」と言ってくれた。
「死んでもいいや」と思えることは、それほど幸せなことなのだと思う。
やっと幸せになれた。そして二度目の人生を歩めると、そう判断したのだろう。

何だかんだ私は嵐が大好きなのでやっぱり嵐が活動を休止し大野智が芸能界を辞めるのは悲しい。
でも、やっと自由になれるのだから、無理に帰ってこなくていい。

青くて広くて寒くて暗い海を悠々と泳ぐ、18mという数字を知っていても実際に見るまでどのくらい大きいのか計り知れない、何も考えてないようで知性を感じさせる目をしたクジラ。それが大野智だ。

クジラの居場所は水槽の中じゃない。クジラは海の中でしか生きられない。
ずっとクジラとしての生き方を諦めていた大野智
だから、海から水槽に帰ってくる必要はない。
彼がしていたのは回遊なのか死滅回遊なのか、ずっと考えていた。

きっと、彼がしているのは回遊だ。彼はもう死ぬ場所を探して彷徨う死滅回遊なんてとうに終わらせていたのだ。彼はクジラの生き方を知っていた。生きていくのに心地よい場所を求めて20年間嵐を続け、時期が来たから嵐を去って回遊するだけ。

私は正直、2021年以降の嵐の活動再開を望んでいない。
二度もこんなに辛い思いをしたくない。
2021年以降も活躍するメンバーを見ていたら大野智を思い出して辛くなるだろうから素直に応援できない気がするし、どんどん好きじゃなくなっていく気さえしている。申し訳ない。
でも、かつて大野智は雑誌のインタビューで「『自由』と聴いて思い浮かべるものは?」と聞かれ、こう答えていた。
「練習。練習しないと自由に踊れないから」

「自由」と聞かれてダンスを思い浮かべてしまう、どこまでもダンスが好きな彼がもし万が一嵐に帰ってきたいと言ったなら、例えその時私が喜んでいたとしても怒っていたとしても泣いていたとしても、私は大野智のファンなので、彼に「おかえり」と言いたい。



A.B.C-Zのファンもこれを機に辞めるかとも考えたけどう~~~~~~ん、塚ちゃんはヒーローだし河合くんは一生懸命だしはっしーは国民のゴールデンレトリバーだしとっつーはとっつーだし五関くんのダンスまだ見ていたいからこれからも応援します!!!!最終話までよろしくな少年マンガA.B.C-Z!!!!打ち切りされんなよ!!!!

 

終わり。